ああまでせんでも。
1970年代、当社は何台かのタクシーから「あんどん」(屋上灯)を外し、朝から晩まで「あんどん」なしで街を走り回るチャレンジをしました。
「あんどん」を外すとタクシーに見えませんから、お客様の手があがらず、なかなか仕事になりません。
タクシーでハイヤー的なサービスを提供しよう、という試みです。車両の見た目だけではありません。
10名ほどの乗務員を選抜して徹底的に教育し、勤務の日はもちろん、毎月一回は非番日に研修会を行い勉強をしましたが、ほとんど全員が出席し、みな真剣に努力をしたと伝えられています。
当時のタクシーは着帽が当たり前でしたが、ハイヤー的サービスの一環としてドアサービスを取り入れ、それに合わせて蝶ネクタイを締め着帽をやめました。
そして「徹底してハイヤー的サービスを提供する」を合言葉に営業活動を活発にして、多くのお得意様にご利用いただくまでになったそうです。
カープタクシーはこの広島のタクシー業界において、常に時代の先端を歩んできました。
当時広島にドアサービスをするタクシーはなく、他所のタクシーの乗務員さんから「ああまでせんでもよかろうに」と冷たい目で見られましたが、今ではドアサービスは当たり前になっています。
自家用車の気分で。
私たちはタクシー事業者として突出したサービスは行っておりません。しかし、多くのファンがいてくださり、今日のカープタクシーがあります。
サービスの根底にこのキャッチフレーズのような理念があったからではないかと、私たちは考えています。
特別なことはせずとも、自家用車のようにご利用いただくことを目指せば、安全や快適やお客様満足につながる、という発想です。
特徴的なのが車の色です。
当時、当社では中型は黒、小型は紺色でした。
しかし、創業者平原國男(故人)が昭和58年の欧州旅行で各国のタクシーを見て、黒は葬儀専用車のイメージが強いと感じ黒をやめた、と記録に残っています。
実はこれは勘違いでロンドンタクシーのブラックキャブといえばエリートドライバーの証なのですが、とにかく黒はやめようということでした。
そして、ソフトで上品で親しみやすい、当時のタクシーには珍しい自家用車的な色が考案されました。現在に続くブルーグリーンメタリックです。
この色で、乗務員が蝶ネクタイをして、しかも帽子をかぶらず頭髪を清潔にしている。
まさに運転手付き自家用車の雰囲気でした。
※ 現在は公用なども考慮し中型タクシーは黒塗りにしています。